« Caress by Motojiro KAJII -1/2 | Main

Monday, May 05, 2008

Caress by Motojiro KAJII -2/2

ダウンロード caress-motojiro-02.mp3 (3965.5K)

transcript

 ある日私は奇妙な夢を見た。
 X――という女の人の私室である。この女の人は平常可愛い猫を飼っていて、私が行くと、抱いていた胸から、いつもそいつを放して寄来すのであるが、いつも私はそれに辟易(へきえき)するのである。抱きあげて見ると、その仔猫には、いつも微かな香料の匂いがしている。
 夢のなかの彼女は、鏡の前で化粧していた。私は新聞かなにかを見ながら、ちらちらその方を眺めていたのであるが、アッと驚きの小さな声をあげた。彼女は、なんと! 猫の手で顔へ白粉(おしろい)を塗っているのである。私はゾッとした。しかし、なおよく見ていると、それは一種の化粧道具で、ただそれを猫と同じように使っているんだということがわかった。しかしあまりそれが不思議なので、私はうしろから尋ねずにはいられなかった。
「それなんです? 顔をコスっているもの?」
「これ?」
 夫人は微笑とともに振り向いた。そしてそれを私の方へ抛(ほう)って寄来した。取りあげて見ると、やはり猫の手なのである。
「いったい、これ、どうしたの!」
 訊(き)きながら私は、今日はいつもの仔猫がいないことや、その前足がどうやらその猫のものらしいことを、閃光(せんこう)のように了解した。
「わかっているじゃないの。これはミュルの前足よ」
 彼女の答えは平然としていた。そして、この頃外国でこんなのが流行(はや)るというので、ミュルで作って見たのだというのである。あなたが作ったのかと、内心私は彼女の残酷さに舌を巻きながら尋ねて見ると、それは大学の医科の小使が作ってくれたというのである。私は医科の小使というものが、解剖のあとの死体の首を土に埋めて置いて髑髏(どくろ)を作り、学生と秘密の取引をするということを聞いていたので、非常に嫌な気になった。何もそんな奴に頼まなくたっていいじゃないか。そして女というものの、そんなことにかけての、無神経さや残酷さを、今更(さら)のように憎み出した。しかしそれが外国で流行(はや)っているということについては、自分もなにかそんなことを、婦人雑誌か新聞かで読んでいたような気がした。――
 猫の手の化粧道具! 私は猫の前足を引っ張って来て、いつも独り笑いをしながら、その毛並を撫でてやる。彼が顔を洗う前足の横側には、毛脚の短い絨氈(じゆうたん)のような毛が密生していて、なるほど人間の化粧道具にもなりそうなのである。しかし私にはそれが何の役に立とう? 私はゴロッと仰向きに寝転んで、猫を顔の上へあげて来る。二本の前足を掴んで来て、柔らかいその蹠(あしのうら)を、一つずつ私の眼蓋(まぶた)にあてがう。快い猫の重量。温かいその蹠。私の疲れた眼球には、しみじみとした、この世のものでない休息が伝わって来る。
 仔(こ)猫よ! 後生だから、しばらく踏み外(はず)さないでいろよ。お前はすぐ爪を立てるのだから。

Many thanks for the text :
Aozora-Bunko

Original text here


 

|

Comments

Post a comment